うたたね日和♪読書メモ

本との出会い徒然に

生きつづけるキキ ひとつの『魔女の宅急便』論

 

 『ルドルフとイッパイアッテナ』を始め多数の著作がある斉藤洋さんが児童文学作家の目線から『魔女の宅急便』を読み解く。

角野栄子さんの作品論を述べる一方で、その深層に斉藤洋さんご自身の作品論が透けて見えてくるのが面白かった。

角野栄子さんと斉藤洋さんの対談では、この点を、角野さんがジジばりの鋭さで突いていた。

巻末の「インタビューを終えて」の最後の二行に思わず微笑んでしまった。

斉藤洋さんのひねりのきいたユーモアと角野さんの竹を割ったようなお言葉。

お2人とも素敵な作家さんだなあ、と思った(*^_^*)

 

☆本文より ~斉藤洋さんのお言葉~

「作家は、どの年齢の読者を想定しようが、それは自由で、好きにすればよいのだが、読書好きの少年少女を読者として想定してはならない<中略>場合によっては(つまらないと思っている本を最後まで読むよう強制されることによって)一度で懲りて、本嫌いになってしまう可能性が高い。児童文学作家が少年少女を本嫌いにしてどうするのだ」

☆対談より~角野さんのお言葉~

「だから私の物語は限りなくこっちとあっちの世界なの。こっちの世界も書くし、あっちの世界も。こっちだけじゃないの」

「<中略>フィリッパ・ピアスとか、ルーシー・ボストンの『グリーン・ノウのこどもたち』とかね。二分した世界じゃないんです。時が入り混じる世界。ちょっとした暮らしの中の不思議が動きだす。あるきっかけで時代が入り乱れる。その中で主人公がいろなことを知っていくんだけど、成長とともに、見えなくなるのものもあるという。『トムは真夜中の庭で』なんて二十世紀の児童文学の傑作と思っている」

「どんなに人間、崩れてしまっても、何かひとつあると思うの。芯みたいなものが。それが、人間に対する私の基本的な考え方ですね」