18年ぶりの十二国記シリーズ最新刊(1)~(4)。先に出版された(1)(2)を前編、一週間を待ち、(3)(4)を後編として、いっきに読んだ。
既刊を読み直す時間が取れず、体当たり的に挑んだ長編は、記憶と読解力を試されているかのようだったが、ほどなく慣れた。
(1)(2)は先が見えない展開だった。お先真っ暗、出口のないトンネル。この息苦しさは、『月の影 影の海』初読時との既視感があった。きっと事態は良い方向に向いていく。心を励ましつつ読み進んだ。
(3)は、絶望と徒労と忍耐の旅を李斎一行と共に歩んで行く。ようやく坂道を登りきれるか。明るい兆しが見えたところで、あっという間に振り出しに転がり落ちる。
ええ、そうですとも。
ひと筋縄で大団円なんてありえない。
(4)の中盤以降は、残るページ数との闘い。もうこれだけしかないの?終わるの、これ? 余計な心配が加わった。
新刊はゆっくり時間をかけて、じっくり読もう、という初心はあえなく崩れた。家事の合間の一分一秒を惜しみ、残りのページ数と格闘しながら、最後まで読み切った。
闘いは終わった。
王と麒麟は還った。阿選は打たれ、戴国は救われた。めでたし、めでたし・・・のはずが、どうしてだろう。心の底に消えない哀しみが深く沈殿している。
あるのは、理不尽な思い。
たくさんの市井の人々がいた。ある人は剣を取り、ある人は祈り、ある人はそっと助けた。絶望の続く闇の中で、彼らの命(あるいは魂)は、あっけないほど消えていってしまった。
季斎、驍宗、泰麒も、無傷ではなかった。
それぞれ大きな未来への負荷と責務を課せられた。
特に、神獣としての境界を越えてしまった(やむ負えなかったとはいえ)泰麒の心労は察するに余りある。
表紙のイラストが、泰麒、驍宗、季斎、最終巻が阿選、となっているのは意味深い。
なぜ阿選なのか。
阿選の存在はある意味、驍宗の存在を明確にする。2人の対比で、この物語の支柱が成り立つ。『ゲド戦記・影との闘い』の影と光みたいだ。
阿選は誰の心にも棲みついている。
闘いに、勝者も敗者もいなかった。
あえていうなら、長い間、艱難辛苦に耐えてきた「民」が勝者といえるかもしれない。その「民」のため立ち上がった者たちが、むくわれた。恨み、妬み、私利私欲に走った者が滅びたのは救いだった。シリーズ当初から貫かれたテーマがそこにあったと思う。
ホワイトX文庫から読み繋いできたシリーズだった。これからも何度も読み返すのだろう。そして読み返すたび、心に響くシーンは変わるのだろう。
この壮大な物語は・・・。
<閑話休題>
(2)巻の193頁、泰麒の独白は印象的だった。シリーズ0巻『魔性の子』と繋がった1ページだった。今までの神獣にはない強さ(と、したたかさ)の源泉が見えた。高里は、恩師のしてくれたことを忘れていなかった。蝕で失われた尊いたくさんの命のことも・・・。ここは作者様も絶対書きたかったところだと思った。
残念ながら高里の思いはもう蓬莱には届かないが、読者には届きましたよ。しっかりと。
<感涙のツボ>
~いくつもある中のベスト3(順不同)~
1 泰麒、高里として生きた蓬莱への受戒(前述の通り)
2 主上のお言葉
「助けてやれなくて、済まない・・・・」
3 泰麒の姿が視線で融けた瞬間
以上、なかなか感想が書けなくて困っていましたが、ようやく書けました~。
取り散らかっている中身はご容赦ください。